ジッドの文学は青年の文学というより青春の文学

図書館で新潮世界文学「ジッド I」を開くと、「月報(31)」が挟まれていて面白いので読んでみました。特に面白かったのが、若林真氏の「さまよえるアンドレ・ジッド(続)」という文章。



クロード・エドマンド・マニーという女流批評家の「ジッドの文学は青年の文学というより青春の文学」という文章を引用し、ジッドは青春のなかにとどまっていたかったと書かれています。さらにはこんなことも!(要約です)

読者は文学書の中に「人生の指針」を求める。だがジッドは、どこにも立ち止まらず、立ち止まらないことを誇りにし、立ち止まる人間どもすべてに唾を吐きかけてきた。多くの人々が一度はジッドに接近し、その「意地の悪さ」にさんざん痛めつけられたあげく、やがて離れていく。一度は「パリュード」を通じて"ジッドの毒"に浸った小林秀雄は、後に「禿頭のいい年をして、自我だの、自意識だの誠実だのという青臭い問題にいまだに汲々としているジッドにはもう興味がない」と言い放った。


ここまで言うかというくらい、かなり手厳しい。確かにジッドが書くものにはそういうものを感じます。ヘルマン・ヘッセも初期の作品の作風から青春の作家と評されることが多いようですが、晩年の「荒野の狼」や「ガラス玉演戯」などを読むと、そうとも言えないかもしれません。

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テーマ: 読書 | ジャンル: 小説・文学

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